(はじめに)
米国政府が、ようやく公的資金による民間銀行の資本増強に乗り出します。問題は、どの程度の金融機関に注入するのかですが、実際にはどの金融機関が受け取ってくれるのか、という点が最大のネックになるかもしれません。今回は、この問題を考えてみたいと思います。
(公的資金を利用する方法)
金融危機に際して、税金を使う方法として、「[1]銀行を破綻させて預金保険機構に支払いをさせるが、預金保険機構の資金が枯渇した場合に財政資金を預金保険機構に贈与する」、「[2]経営の破綻した金融機関を健全な金融機関に引き取ってもらう際に、債務超過分を持参金として政府が拠出する」、「[3]経営の破綻した銀行を国が接収して、債務超過分を税金で穴埋めする」、「[4]自己資本が不足している金融機関が、取り付け騒ぎにあうことを防ぐために、税金で資本増強して健全性をアピールする」、「[5]自己資本が不足しそうな銀行が貸し渋りを行なうことを防ぐために、税金で資本増強する」、「[6]銀行の資産の流動性が低くて売却すると価格が暴落する場合に、政府が銀行から当該資産をフェアバリューで買い取る」、「[7]金融機関の不良資産を時価よりも高い価格で買い取ることで、金融機関の健全性を回復させる」、「[8]中央銀行が担保をとって金融機関に貸出を行なう」、「[9]中央銀行が担保をとらずに経営の悪化した金融機関に貸出を行なう」といったケースが考えられます。
この中で、現在米国で最大の問題となっていて、世界中で注目されているのは[4]と[5]です。
(予防的資本注入)
[4]および[5]は、事態が悪化することを予防するために、公的資金を用いて銀行に資本を注入する、というものです。ここで問題なのは、民間企業に対して政府が強制的に資本を注入することは「財産権の侵害」という憲法上の議論を巻き起こす可能性もあって、困難だということ、したがって、金融機関側から資本注入の申請が出される必要があるということです。それが何故問題なのかと言えば、金融機関側には「様々な条件を課されるくらいなら申請しない」という選択肢があるからです。
資本不足の銀行であっても、[4]の公的資金を申請する場合に経営者の報酬が制限される等の条件がつけば、「申請しなくても取り付け騒ぎが起きるとは限らないのだから、申請しない」ということになり、結果として取り付け騒ぎを予防するという法の趣旨が生かされなくなるでしょう。
BIS規制比率が8%を下回りそうな銀行であれば、「貸し渋りを行なって資産を圧縮しよう。そうすればBIS規制が8%を守れるから、経営者の報酬を制限されないだろう」と考えるでしょう。それでは、[5]によって貸し渋りを予防するという法の趣旨が生かされなくなるでしょう。
したがって、政府には、「公的資金は申請していただくものですから、経営者の報酬制限などの条件はつけません。よろしくお願いします。」という姿勢が必要なのです。しかし、これは選挙民の感情を考えると、容易に議会を通る話ではないでしょう。実際、今次米国の金融安定化法にも、経営者の報酬制限などの規定が盛り込まれているようです。
今一つの問題は、[5]を行なう際には[4]も同時に行なわなければならない、ということです。「健全な金融機関だけに資本を注入する」という事は出来ないのです。それは、[5]だけ実施して[4]を実施しないということは、「公的資金注入が認められなかった銀行は、政府が不健全だと認定した銀行だから、資金を引き揚げよう」という動きを誘発して、破綻させるべきではない銀行の破綻が続発することになるからです。
そうだとすると、ますます事態は困難になってきます。「そこそこ健全な銀行であれば、経営者の責任を問わずに公的資金を注入してもよいが、不健全な銀行に注入する時にまで経営者の責任を問わないのは許せない」という議員を反対に回らせてしまうからです。
米国政府は、これからこうした難題を解いていかなければならないわけですが、市場が公的資金の注入を催促している以上、世界の金融市場を安定化させるためには避けて通れない道ですから、是非とも頑張って欲しいものだと思います。
(90年代の邦銀への注入について)
邦銀に公的資金を注入する際には、「過少資本の銀行には経営責任を問う」「破綻しそうな銀行は救済しない」という条項が加えられていました。これは、建前としては当然のことですし、仕方がなかったと思います。そうしないと納税者の説得に大変な時間と労力を要して危機が更に進行していたでしょうし、結果として説得に失敗していた可能性も大きいからです。
しかし、この条項によって難しい問題が生じました。公的資金を本当に必要としている銀行は、「破綻しそうだと認定されて断わられたら、取り付け騒ぎで破綻するだろう。そうでなくとも、経営責任を問われるのは嫌だから、申請しないでおこう」と考えて、申請をしなかったからです。
結果としては、当局から各行に対して「申請すれば認める」「経営責任は問わない」という強いメッセージを送ることで各行の申請を引き出すことが出来、審議会においてメッセージどおりに「実質的な審査を行なわずにすべての銀行を健全だと認定する」というまことに現実的な対応がなされたことによって、国難を逃れたわけです。このあたりが極めて日本的な「あうんの呼吸」と言えましょう。
実質的な審議を行なわなかった事に対して批判もありますし、建前と本音の使い分けに対する批判もあるでしょう。それは、「ルール重視か裁量重視か」という大きな価値観の相違から出てくるものです。「結果がいかに悲惨でもルールはルールだから従うべき」と考えるか、「ルール通りだと悲惨な結果になる場合には臨機応変に切り抜けよう」と考えるか、という違いは、米国型志向回路と日本型思考回路の違い、と言えるのかもしれません。
そうした事を総合的に考えると、建前として「健全な銀行のみ」という条項を加え、本音として全ての銀行に注入する、という解決は、極めて日本的な本音と建前の使い分けによって民主主義のコストを最小限に抑えるという暗黙の了解であったようにも思えます。
本当に当時の当事者たちがそこまで考えていたのか否かはわかりませんが、仮にそうだとすれば、それこそ米国に学んでほしい日本の経験だということになるのかもしれませんね。
今回は以上です。