(はじめに)
景気が悪化の一途を辿っているのに、なぜ強気を続けるのか、と聞かれます。
よほど自信があるのだろう、と皮肉を言われることもあります。今回は、なぜ強気を続けているのか、御説明しましょう。
(強気論の理由)
世界中の専門家が弱気な時に、自分だけ強気論を自信を持って述べる事は不可能です。
ガリレオのように理論で説明出来ることであればともかく、景気予測は「永年の経験と勘が頼り」であり、絶対の自信など誰にも無いはずだからです。
それでも筆者が強気論を唱えている理由は、「通説が説くよりは景気の回復が早い」と考えていることです。
これは、自分の景況感が実際に通説よりも良いことに加え、「そもそも通説には悲観バイアスがかかっている」「通説は遅行指標なので景気の転換点の予測が遅れる」という通説の性格に起因する部分もあります。
自信が無いならば黙っていればよいのに、敢えて強気説を唱える危険を冒している理由は、通説以外の考え方もあるという事を読者に伝えたいという事です。
強気論を唱える事が筆者個人として得になるのか損になるのか判りませんが、筆者としては「明らかに損になる愚かな行為」ではないと考えています。
(通説のバイアス)
景気について語る人には、悲観的に語るインセンティブが働きます。
その方が知的に見えますし、マスコミにも出やすいからです。
楽観論が外れると批判されるが、悲観論が外れても批判されない、という事も影響しているようです。
一方、マスコミは、楽観論よりも悲観論の方が売れるので、悲観論者を多用します。日本の読者は悲観論を好む傾向があるからです。
「大地震の可能性は小さい」と書くよりも、「大地震が来るかもしれない」と書く方が売れるでしょう。
したがって、マスコミの発する景気予測は、エコノミストたちの本音の予測よりも悲観的なものとなりがちです。
エコノミストが本音よりも悲観的な発言をし、その中からマスコミが悲観的なものを採り上げる、という二重の悲観バイアスがかかっているからです。
これを逆から見ると、マスコミの発する景気予測よりも少しだけ楽観的に考えると、エコノミストの平均的な本音となる、ということです。
したがって、筆者の景気予測の出発点は、マスコミの発する景気予測よりも少しだけ明るい景況感です。
これよりも強気になるか弱気になるかを、永年の経験と勘で決めることが景気予測だというわけです。
(通説は遅行指標)
通説の景気予測はタイムラグがあります。
景気は、ひとたび悪化をはじめるとそのまま悪化を続ける力が働きますので、タイムラグがあっても予測が当たる場合が多いのですが、もっとも重要な転換点の予測が遅れることには留意が必要です。
まず、認知のラグがあります。
経済指標が発表されるまでに時間がかかることもありますが、1回だけの指標でトレンドの転換を判断するわけに行きませんから、何回分かの指標を総合的に判断する必要があり、それには結構な時間がかかるわけです。
次に、発表のラグがあります。
大きな組織になればなるほど、トレンドの転換を主張するためには組織内のコンセンサスが必要ですし、一度発表したトレンド転換予測を翌月取り消すといった事態を避けるために慎重になります。
今一つ、追随のラグがあります。
通説が形成される過程に於いては、レベルの高いシンクタンクの予測がある程度一致し、それに他のシンクタンクが影響されていくプロセスが必要です。
これにもある程度の時間がかかります。
直近の例では、原油価格等が暴落してから通説が消費者物価のマイナスを予測するのに時間がかかりました。
「一次産品価格高騰の影響を除けばインフレ率がゼロである」こと、「一次産品バブルが崩壊しつつあり、バブルは一度崩壊をはじめると元に戻りにくい」ことなどを考えれば、リーマン・ショックの前から消費者物価のマイナスは相当の確度で予測出来たはずなのに、です。
景気は様々な要素がありますから、インフレ率の予測よりも更に慎重な見極めが必要で、その分だけタイムラグが長くなりがちだと考えておくべきでしょう。
通常は、景気の転換自体が緩やかに起りますから、多少のタイムラグがあっても問題は小さいのですが、今回のように事態が激変している時には数ヶ月のタイムラグが大きな問題となりかねません。
今回は落込みが急なだけに、下げ止まる時も回復に向かう時も変化が急激である可能性があり、通説がこれを適切に予測出来ない可能性が大きいのではないかと懸念される状況です。
(隠れた論点)
景気予測の専門家であれば、「景気が良くなる要因と悪くなる要因を10個ずつ挙げる」ことは簡単です。
そうした要因の綱引きで今後の景気が決まっていくわけです。
綱引きでいずれが勝つのかを予測するのは「長年の経験と勘」です。
経験と勘で結論を決めたら、結論に都合の良い材料を集めて説得力のあるレポートを書くのが一般的なエコノミストです。
そうだとすると、通常は強気派と弱気派のレポートを読み比べることにより、読者は強気材料と弱気材料を知る事が出来ますが、今回のように圧倒的な通説が存在する時には、人々は反対説の論拠を目にしないことになります。
このサイトは、ある意味で「無責任」ですから、予測を当てる事も重要ですが、読者に「通説がもしも外れるとしたら、どういう可能性があるのか」を考えていただく材料として使っていただくことも念頭に置いています。
その意味では、読者に対する何がしかの貢献は行なえているものと考えています。
(もちろん、読者に反対説を御紹介するために自説を曲げているというわけではありませんが)。
(強気論の損得勘定)
当サイトは非営利であり、単なる筆者の趣味でありますから、金銭的な損得を考えているわけではありませんが、せっかく情報を発信しているのですから、読者から見向きもされなくなるのは悲しい事です。
問題は、無謀にも見える強気論を発することで、そうなる可能性が高いのか否か、ということです。
1つの要素は、論理が自分なりに納得出来ているか否かです。
綱引きの勝ち負けの予測は、長年の経験と勘と、それ以上に運により当たり外れがあります。
一方で、強気材料と弱気材料の提示は、論理です。
「読者に強気論の可能性について考える材料を提供出来ているならば、予測が外れたとしても、当サイトが見向きもされなくなることはないだろう」、という期待を筆者が持っているというわけです。
今一つの要素は確率です。
たとえば、筆者が「強気論が当たる確率が49%だ」と考えていて、強気論を唱えている人が100人に1人だとしましょう。
「強気論の確率が5割以下だから弱気論を唱えよう」とは考えず、果敢に強気論を述べることが、期待値として合理的な行動でしょう。
特に意識はしておりませんが、筆者の深層心理にはこうした計算も働いているのかもしれません。
通説に真っ向から対立することで目立とう精神が満足される、ということも、メリットかもしれませんが、外れた場合に大いに恥をかく上に、次回以降は誰にも見てもらえなくなるリスクを考えると、これはインセンティブになりそうもありませんね。
(理論的には、止まった時計戦略というものも有り得ます。拙稿「新人経済記者へのアドバイス」の「おまけ3」を参照ください。もっとも、筆者はそうした志向ではないつもりです。)
(強気論を諦める可能性)
現時点では、リーマン・ショック後の強気論が外れています。
大きな誤算は3つあります。金融機関の米国政府不信、米国乗用車販売の落込み、本邦乗用車販売の落込み、です。
当サイトの08年10月号は、「米国政府の対策がスパイラルに陥ることを回避出来るのか否か、日本経済にとっても正念場だと言えるでしょう。」としながらも、米国政府が何とかするだろう、市場もそれに応えるだろう、という期待を込めた楽観論を記しています。
米国政府とFRBは積極的に善後策を講じましたが、銀行を潰さないという政府の方針を金融機関が信用せず、金融機関相互間の資金貸借が暫らく凍りついていたことは、大きな誤算でした。
昨年秋の時点では、米国の不況は住宅産業と金融業という「国内産業」を中心としたものであって、自動車という輸入部門がこれほど落ち込むとは考えていませんでした。
ビッグスリーが自動車ローンを組めなければ、日本車メーカーが自動車ローンを組んでビッグスリーのシェアを奪うのだろう、と考えていたわけです。
「これまでの自動車ローンの与信基準が甘すぎた分が修正される」等々の要因を過少評価していた、というわけです。
もっとも、こうした要因は、過小評価していただけですから、回復が始まる時期が少し想定よりも遅れただけで、シナリオを変更する必要はないでしょう。
ショックだったのは、国内の乗用車販売の急激な落込みです。
国内では自動車ローンが困難になったわけでもなく、特段の理由もなく自動車販売が激減したわけで、「失業を懸念した派遣労働者が財布の紐を締めた」というだけでは到底説明がつかない落込み幅となっています。
「金融危機」という見慣れぬ怪物に恐れをなして、世界恐慌を懸念する声も聞こえてくる中、公務員や年金生活者といった景気の影響を受けにくい人々まで消費を抑制しているようです。
これは、想定外の事態であり、今後もこうした事態が続くようであれば、強気論を見直す必要が出てくるかもしれません。
しかし、現時点では、そうした事態に陥る可能性は低いと考えています。
金融危機自体は峠を越えていますから、「得体の知れない怪物に遭遇した亀が頭を引っ込めていたが、時間とともに少しずつ頭を出して歩き始める」ように、消費も回復してくると思います。
したがって、今しばらくは強気論を続けるつもりです。
今回は以上です。